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古関裕而「朝ドラ・エール」の有名曲は?息子や孫の現在も調査!!

2020/04/25
 
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2020年3月30日よりスタートしたNHK朝の連続テレビ小説「エール」。

 

俳優の窪田正孝さんが演じる主人公・古山裕一のモデルとなっているのが、作曲家の古関裕而(こせきゆうじ)さんです。

 

古関裕而(こせきゆうじ)さんはどんな人生を歩まれたのでしょうか?

 

また、有名曲は?息子や孫の現在も気になるところですね。

 

「古関裕而「朝ドラ・エール」の有名曲は?息子や孫の現在」を調査してまとめました。

 

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古関裕而ってどんな人?どんな人生を歩んだの?

 

古関裕而さん(明治42年~平成元年)は、1964年の東京オリンピックの開会式で鳴り響いた「オリンピック・マーチ」、甲子園で流れる「栄冠は君に輝く」など生涯で約5,000曲を作曲された人です。

 

没後ですが、国は遺族に対して『国民栄誉賞』授与を打診するも固辞されてしまいますが、その位、日本に貢献した方だったんですね。

 

古関(本名:古関勇治)さんは、明治42年(1909年)8月11日に、福島市大町にある呉服店「喜多三」に生ました。

 

古関さんのお父さんが元々音楽好きで、幼少の頃からレコードで音楽を聴く日々を過ごし、これが古関さんの音楽魂に火をつけました。

 

古関さんは民謡や吹奏楽が好きだったそうで、小学生の頃から作曲を始めたそうです。

 

音楽好きだった古関さんは、山田耕筰の曲に影響を受けながら、ドビュッシーやストラビンスキー、ムソルグスキーの曲にも衝撃を受け、近代フランスやロシアの音楽に没頭したそうですよ。

 

地元福島で高校を卒業した後、銀行員として勤めながら、古関さんの音楽熱は加速していきます。

 

学生時代からの憧れであった山田耕筰に自身の作品を送り、手紙のやりとりも行いました。これが後に古関さんの人生を大きく変化させます。

 

昭和4年にロンドンに送った「竹取物語」(他4曲)は、世界中の音楽家を押しのけて2位入選となり、「作曲家・古関裕而」の誕生を印象付けました。

 

この内容について、当時の新聞ではセンセーショナルに記事に取り上げられ、愛知県豊橋市出身の内山金子(奥さんになる方ですね)の目にもとまり、その後、古関さんと金子さんは文通をして、出会いから半年で電撃結婚をしました。

 

「竹取物語」の受賞でイギリス留学が決まっていましたが、実家の経済状況や金子さんとの結婚があり、断ることとなりました。

 

その後、古関さんの人生は大きく変化していきます。

かつて手紙をやりとしていた山田耕筰さんより「日本コロムビアの専属作曲家にならないか?」と古関さんを推薦し、古関さんはこれを引き受けます。
「福島行進曲」がデビュー曲です。当時はレコードでしたが、B面(裏面)も福島にちなんだ曲「福島夜曲(セレナーデ)」で、故郷想いの古関さんらしいデビューです。
しかし、残念ながら暫く鳴かず飛ばずでした。
コロムビアに入社して5年目に作曲した「船頭可愛や」が庶民の心をつかみ、大ヒットします。

古関さんはデビュー後、戦時歌謡、今でいう「軍歌」や「軍事歌謡」を残します。

 

古関さんの作る軍事歌謡は、兵士たちの士気を鼓舞するような勇猛なものではなく、兵士たちが戦いの疲れを癒したり、気持ちが和むものが多かったそうです。

 

古関さんの作る軍事歌謡は、兵士たちの士気を鼓舞するような勇猛なものではなく、兵士たちが戦いの疲れを癒したり、気持ちが和むものが多かったそうです。

 

戦時中に亡くなった方を偲び、その家族らを応援する、まさに「エール」なのです。

そして、昭和24年、「長崎の鐘」がコロムビアから発売。

 

戦時歌謡に代表される古関さんのヒューマニズムから、長崎医科大学の永井隆博士の「長崎の鐘」や「この子を残して」をモチーフに、曲が創られました。

 

永井博士は最愛の妻を原爆で亡くしながらも被弾者の救助活動に従事していました。

 

その後、長崎への原爆投下で被弾してしまいます。

 

そんな活動を知った古関さんは感銘をうけ、永井博士との手紙をやりとりをしたそうです。

 

今でも「長崎の鐘」は長崎市民にとって愛される歌だとか。その他にも、劇作家である菊田一夫とコンビを組み、「鐘の鳴る丘」や「さくらんぼ大将」などNHKラジオドラマの楽曲を提供するようになります。

 

昭和39年、アジア初の東京オリンピックの開催が決まり、古関さんの長年の作曲人生が評価され、「オリンピック・マーチ」の作曲を依頼されることに。

 

この「オリンピック・マーチ」は世界から作曲者の問い合わせが殺到したそうで、世界の作曲家・古関裕而の誕生です。

 

その後晩年までご活躍され、勲三等瑞宝章受賞、福島市名誉市民、レコード大賞特別賞受賞と大変評価されました。

 

没後に国民栄誉賞を打診されるまでに至りました。

 

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古関裕而さんの有名曲は?

 

前の項でもお話ししてしまったので、ここでは実際に聞いていただきましょう。

 

初めて聴いてもなにか懐かしく、心に沁みる曲ばかりです。

 

下記はいづれも代表曲です。

 

「オリンピック・マーチ」や「六甲おろし」は今でも知らない人はいないくらい、時代を超え皆から愛されています。

 

 

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古関裕而さんの息子・孫の現在も調査!!

 

 

 

昭和の天才作曲家・古関裕而さんの息子の正裕さんの現在についても気になりますので、まとめていきます。

 

昭和21年生まれで東京出身。

 

成城学園初等科入学後、ピアノを習い始めたものの高校在学中にはバンド活動に熱中しました。

 

正裕さんの若い頃はビートルズが流行っていた時代で、音楽のいろいろなジャンルがごちゃ混ぜに世の中で流れていた古き良き時代です。

 

『古い』というイメージ強かったのでしょうか?父親の曲など興味もなかったそうです。

 

しかし正裕さんも音楽は興味があり小学1年から12年間、高校生が終わるまでピアノを習っていた過去を持ちます。

 

音大に進もうとも思ったが、父親の陰に隠れてしまい活躍できないと思ったこともあり、音大へは進まず違う道へと考えたようです。

 

大学名は早稲田大学で数学科を専攻就職先は新聞社でした。

 

オンライン情報システムの設計などIT関係の仕事がメインでした。

 

2013年1月には音楽ユニット「喜多三(きたさん)」→(実家の呉服店名称)を結成した。裕而さんの楽曲を使って高齢者施設などでライブを行っていました。

 

因みに長女は古関雅子さん、昭和7年1月生まれで、次女は古関紀子さん、昭和9年7月生まれです。

 

戦前、戦中、戦後を生きた伝説の作曲家『古関裕而』の生涯をドラマで観れるとは楽しみで仕方ないですね。

 

古関正裕さんは結婚しているので、お子さんがいます。

 

つまり古関裕而さんと金子さんのお孫さんです。

 

当時は両親と二世帯住宅での同居で、孫の子育てをめぐって嫁姑バトルもあったようですが、別居するようになってからは、うまく行くようになったと古関正裕さんがブログで語っていました。

 

古関裕而さんは孫のために書いた「幸子の子守唄」の2曲作曲しているから、お孫さんは女の子で幸子ちゃんの可能性が高いですね。

 

ただそれ以上の情報は見つけられませんでした。

 

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まとめ

 

2020年3月30日より始まった「エール」を楽しんでみている中で気になったことを、『古関裕而「朝ドラ・エール」の有名曲は?息子や孫の現在も調査!!』というテーマでまとめてきました。

 

ご本人は福島出身、山田耕筰に師事し、日本コロムビアに所属し5000もの曲を作られました。

 

代表曲である「オリンピック・マーチ」など現代に生きている私たちも耳にしたことのある曲も多数作曲しました。

 

息子や孫についても調査してまとめてきまいした。

 

朝ドラ『エール』のこれからのストーリー展開に注目です。

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