吉岡秀人医師の家族や名言などのプロフィール!ジャパンハート創設者について
2020年4月10日放送の「カンブリア宮殿」で吉岡秀人さんという医師が出演されました。
ミャンマーの貧困に苦しむ人々を23年も無報酬で救い続ける凄腕医師と紹介されていました。
一体どんな方なのでしょうか?
なぜ無報酬で治療にあたっていらっしゃるのでしょうか?
ジャパンハートというNPO法人はどんな組織なのでしょうか?
吉岡秀人医師の家族や著書などのプロフィール!ジャパンハート創設者についてというテーマでまとめていきます。
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吉岡秀人医師のプロフィール
【オンライントークセッション】
各アドバイザリーの自己紹介より始まりました!
ぜひご参加ください!■内容
カンブリア宮殿出演の裏にある想い■登壇者
吉岡 秀人
山田 進太郎
武田 双雲
望月 理恵
樹林 伸
溝口 勇児▼参加はこちらからhttps://t.co/zmvaZ7RsG9 pic.twitter.com/AYHcjxNWW5
— 国際医療NGOジャパンハート (@japanhearttokyo) April 9, 2020
吉岡秀人さんは1965年8月12日生まれの55歳(2020年4月時点)です。
幼少の頃は、病弱で身体の弱い少年だったそうです。
吉岡医師の両親は、自動車部品の縫製工場を経営していましたが、オイルショックで経営が厳しくなり、廃業していまいます。
吉岡秀人さんの幼少の頃は軍人が多くいた時代で、戦争で傷つきどにもできなく物乞いをする軍人の姿を目にしてきたそうです。
そのころから「苦しんでいる人のために、何かをしてあげたい」という思いがありました。
高校卒業後に大学受験をするも不合格となってしまった吉岡秀人さんは、経済的に余裕がないご自身の家庭のことも考え、迷いながらも幼少期に目にした物乞いをする軍人の姿を思い出し、医師になろうと決意し、二浪の末、大分大学医学部に合格します。
大学卒業後は、大阪や神奈川で救急病院での勤務を経験します。
1995年~1997年はミャンマーにて医療活動に従事、1997年~2001年は国立岡山病院に小児外科医として勤務、2001年~2003年3月は川崎医科大学にて小児外科の講師として勤務、そして、2003年4月から現在まで主にミャンマーで医療活動に従事されています。
2004年4月には、国際医療ボランティア団体ジャパンハートを設立されており、現在吉岡秀人さんは特定非営利活動法人(NPO法人)ジャパンハートの最高顧問として現在も医療を発展途上国の医療を受けることができない子供たちや、すぐにでも治療が必要な患者さんのために奔走されています。
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吉岡秀人医師のご家族は?
【通販のディノスサイト内で、小児科医・吉岡春菜医師のコラム連載スタート!】11歳と9歳の男の子のママでもあり、世界を飛び回る、代表 吉岡秀人の妻、そして小児科医という彼女のコラムは必見!!https://t.co/m80v399fdX pic.twitter.com/uqayQ4GcMT
— 国際医療NGOジャパンハート (@japanhearttokyo) January 5, 2017
吉岡秀人医師はご結婚されており、二人の子供さんがいます。
吉岡秀人さんと奥様との馴れ初めは、吉岡秀人さんが1995年にミャンマーで医療活動を始めたころにさかのぼります。
ミャンマーの小さな診療所で1名の看護師とともに比較的軽度の患者さんや子供たちの治療を行っていました。
しかし、重度のやけどや、口が裂けてしまった病気などの子供たちの手術をすることができなかった吉岡秀人さんは、重度のやけどや口が裂けてしまった病気などの子供たちの手術ができるようになるために、日本へ一時帰国し、外科手術を学ぶことを決意します。
1997年に日本に帰国、岡山県の小児科で勤務します。
その時に同じ病院の医師から女性を紹介された吉岡秀人さんでしたが、実はその紹介された女性に付き添っていたもう一人の女性が気になっていたそうです。
その気になっていた付き添いの女性は、当時医学生でしたが、この方が現在の吉岡秀人さんの奥様です。
お付き合いを経て、2003年に晴れてご結婚されています。
しかし、吉岡秀人さんは結婚式を挙げた直後に再びミャンマーへ戻ることを決意します
吉岡秀人さんは奥様と付き合っていた当時から「発展途上国で医療を行うことが夢だ」と、明確に伝えていたそうです。
奥様もそれを理解して結婚され、世界で大儀を持って活躍される吉岡秀人さんの一番の理解者なんでしょうね。
お子さん二人も寂しい思いをしたこともあったかと思われますが、きっとそんな医師である父親の姿を見て尊敬していることと思います。
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吉岡秀人医師の名言は?
【今日の名言】
「チャンスが来たらやろう」じゃなくて「チャンスが来るためにやろう」
-吉岡秀人-
と、いうことで今日もみなさん1日がんばりましょう!
ぼくはノマドワーカーなので一旦お昼まで寝ます!笑
後でブログ更新するのでお楽しみに☺️ pic.twitter.com/MQAmu9RiaQ— テツヤ@4時間労働ライター✏️ (@kintetsu1230) January 8, 2020
お金というのは使った時に初めて
人生が変化するでしょ?
どういう風に使うかで変化するでしょ?それと同じでセミナーに出たり
人の話を聞いたり
良い出会いを持ったり
それは貯金してる作業ですからby吉岡秀人pic.twitter.com/6xFOD88OyE
— お金の名言集@収入アップ専門アドバイザー (@ryoryofumi) April 6, 2020
吉岡秀人さんのことを調査している中でいろいろな名言がありました。
その中で心に響いた名言をご紹介します。
「僕はずっと、医療は一期一会と思ってやってきたんです。その出会いにすべてのエネルギーをかけなければならない。この子を見捨てて、明日からの医療に意味があるのだろうか。目の前にいるこの子に、自分ができる限りの医療をするべきじゃないか。」
いかがでしょうか?
調査してきた中で吉岡秀人さんの人となりがわかる言葉です。
医療関係のお仕事をされている方は勿論、そうでない私にもずしっと響く言葉でした。
さらにご自身のお子さんにも名言を。
吉岡秀人さんの長男が小学生の時に、毎日が面白くないと言ったので、何故そう思うのか聞いても長男はわからないと答えたそうです。
そこで吉岡秀人さんがおっしゃった言葉は、「自分の才能や実力より下のことをしているからだ」とおっしゃったそうですが、これもお人柄や考え方が良くわかる言葉ですね。
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NPO法人ジャパンはーととは?
私たちの活動拠点では貧困に喘ぐ子どもたちがまだまだたくさんいます。
また、コロナの影響も確実に東南アジアに及んでいます。より多くの命を救う為、新しい取り組みを始めます。
共感してくださった方は、活動へのご支援、拡散にご協力下さい。#ジャパンハート https://t.co/FwFMo2OQiq
— 吉岡秀人@ジャパンハート (@yoshiokahideto) April 9, 2020
ジャパンハートは、国、地域、人種、政治、宗教、境遇を問わず、世界のすべての人たちが生まれてきてよかったと思える社会を実現するため、災害の際の医療や、発展途上国、離島などで恵まれない環境の子供たちや治療が必要な人のために適切な医療を行っている団体です。
ジャパンハートの活動は、吉岡秀人医師の考えに賛同したたくさんの医療従事者の方々やボランティアの医師や看護師で成り立っており、年間800人以上のボランティアが参加する団体で、これまで東南アジアで20万件以上の治療を行ってきたとのことです。
ジャパンハートの事業の一つには、小児がんの子供たちを、好きな時に好きな場所へ連れていく!というプロジェクトもあり、ディズニーランドやピクニックなど子供が望むところへ医師や缶G氏が同行して連れていきます。
このプロジェクトは、「危険を冒してまで出かけるべきか」、「願いを叶えてあげられる子供の数には限界がある」などのジレンマも抱えていると報じられていました。
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まとめ
吉岡秀人医師の家族や名言などのプロフィール!ジャパンハート創設者についてというテーマでまとめてきました。
幼き頃に見た傷ついた物乞いをする軍人を見て、医師を志し、世界で貧困に窮している子供たちを無償で診る医師、吉岡秀人さん。
調査をしている中で、吉岡秀人さんに一貫した使命感、哲学を感じました。
NPO法人ジャパンハートの活動はそんな吉岡秀人さんの哲学に共感・共鳴する世界中の医師や看護師が支えています。
これからの益々のご活躍に期待しましょう。